会社のこと
会社概要
これまでの歩み
印刷関連会社に勤めていた中島は、「広告の企画がしたい。より意味のある仕事をしたい」という思いを持つようになり、27歳で独立。早稲田で創業しました。
クリエイター仲間との縁があり、初めて手掛けた仕事は、輸入レコードのジャケットに巻かれる帯のデザインでした。
次第に仕事の幅が広がっていき、法人化。社名には、アメリカンフットボールの花形ポジションにちなんで、「ゲームメイキングを担う司令塔」という意味を込めました。
設立当初はなかなか売上が伸びませんでしたが、「みんなでスーパーでバイトでもしようか」などとジョークも言い合いながら奮闘。会社員時代からのつながりや、お客さんからの紹介によって、徐々に制作の依頼が増えていきました。
また、青年会議所入会をきっかけとして、さまざまな経営者や作家さん・漫画家さんといった著名人とのつながりも広がっていきました。
中小企業ビジネス研究会「αクラブ」を設立し、経営者向けにセミナーの企画・運営や企業視察ツアーなどのサービスをスタート。
立ち上げ当初は、外部講師を招いて実施していましたが、しだいにセミナー参加者から直接アドバイスを求められる機会が増えていきました。そこで、自身でもさらにビジネスへの知見を深めながら、コンサルティング事業も並行して展開していきました。
当時、近辺にお客さんが多かった飯田橋にオフィスを移転。その背景には、事業が拡大する中でも、お客さんとの密なコミュニケーションを大切にしたいという思いがありました(神楽坂においしいお店がたくさんあったから、という説もあります)。
ちなみに秋葉原オフィスのオーナーからはビル購入の打診もありましたが、「固定化すると成長が止まる」と考え、移転に踏み切りました。
担当していた定期情報誌の経営者取材で、「儲けよりも他者貢献」という価値観に出会い、中島は「これこそが今社会に広めるべき指針だ」と考えるようになりました。これまでのつながりを通じて出版社を紹介してもらい、何度も企画を練り直しながら、出版することができました。
会社としては成長期。積極的に採用活動を行い、業績も好調でしたが、人間関係が理由の退職が相次ぐなど、社内に多くの課題を抱える中での社長交代でした。
当時、山田は新卒入社10年目。クリエイティブの実績を評価されての任命(居酒屋で「社長やる?」と聞かれたとのこと)でしたが、経営者としてはゼロからのスタートです。
社長という肩書きがあるだけで、決算書の読み方もわからず、しんどさが8割という状態でした。
ブランディングカンパニーとしてCIをリニューアル。
時代の変化にともなって、クリエイティブ制作事業の柱だった定期情報誌が相次いで終了。事業そのものを見つめ直す必要に迫られ、どうすればお客さまの役に立てるのか、会社として何をやっていきたいのかを模索する中で、山田が出した答えはブランディングでした。
さぁ、会社として新たなチャレンジを!…と行きたいところでしたが、急な事業転換に、社内では不安や疑問の声も少なくありませんでした。いかにブランディングが大事かを語るも、思いはなかなか届きません。
組織運営の難しさに直面する中で、ここでボードメンバーは後につながる大きな気づきを得ます。
それは、自分たちは「どうすれば伝わるか」ばかりに意識が向き、「メンバー一人ひとりが何を考え、何を大切にしているか」に、目を向けられていないということでした。そして、藁にもすがる思いで、ファシリテーションを学び、社内に取り入れだします。自社の組織づくりに力を入れ始めたのも、この頃からでした。
コンセプトを体現できるオフィスをつくるため、浅草に移転。
2020年、コロナ禍に突入。みんなで力を合わせ、驚くほどのスピード感でリモートワーク体制に移行することができましたが、事業は一気に傾きました。業績はどん底で、先行きも見えない中、あらためて「自分たちは何をしているのか」、「これから何をしていくべきなのか」を見つめ直す必要がありました。
自社らしさを定め、事業にも組織にも貫いていく「ブランド経営」という言葉との出会いもあり、腰をすえて会社としての理念を策定することにしました。時間だけはあったので、たくさん話をしました。そしてたどりついたのが、「つながりのデザイン」というブランドコンセプトです。
また、コロナ禍で人が集まることがむずかしくなり、オフィスの役割も大きく変わりました。業績不振から、一時はオフィスの縮小やバーチャルオフィス化も考えましたが、それでは未来は何も変わりません。むしろオフィスのあり方を見つめ直し、「つながりのデザイン」というコンセプトを体現しようと考え、新天地に移転し、新たな場づくりをすることを決めました。


これまでのブランディング領域に加え、組織開発領域へと事業を拡大。
浅草への移転とオフィスづくりのプロジェクトは、みんなが愛着を持てる場にするためにも、全メンバーが関わりながら進めました。
空間のデザイン・施工をお願いしたcoloursさんと、オフィスのありようについて考えたり、飲食テナントを探したりなど、過去に経験のない取り組みも数多くありましたが、社内で助け合い、周囲の皆さんの力も借りながら、なんとか完成。9月1日にオフィス機能付きブランドルーム「SNAP」としてグランドオープンを迎えることができました。
浅草への移転から1年が経ち、地域の皆さんとの関わりを深めていく中で、次第に「自分たちのまち」という感覚が生まれてきたのもこの頃からです。


「SNAP」を通じたインナーブランディングの取り組みを評価していただき、受賞することができました。
社内メンバーはもちろんのこと、お客さんや地域の方々、メンバーの家族・友人など、日頃応援してくださっている皆さんにも喜んでもらえて、とても幸せでした。

「SNAP」を通じたインナーブランディングの取り組みにおいて選出。
審査員からは「言葉よりも共感で繋がる仲間作りが仕事をより効果的にしていくという発想に共感」「新たな幸福な働き方の形を体現しているのでは」といった趣旨のコメントをいただきました。
メンバーや関わる皆さんの幸せに日々向き合う中で、私たちの考え方や取り組みが「ウェルビーイング」の文脈でも評価していただけて、大きな手応えを感じることができました。また、ブランド経営は「健康経営」にもつながる、という確信も得られました。

クオーターバックという社名は、長きにわたって社内外から親しまれてきましたが、VUCAと呼ばれる時代に突入し、私たちの担うべき役割を見つめ直したとき、少しずつ違和感を感じるようになりました。変化が激しく、正解のない時代において、司令塔のような関わり方が機能しにくいシーンが増えてきたのです。
「つながりのデザイン」を揺るがない軸とし、実践と探究を続ける集団として、次のステージへと踏み出すために、社名の変更を決定。
プロジェクトチームを中心とするメンバー全員で、あらためて自分たちらしさに向き合い、新社名を決定しました。
renについて